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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)3163号 判決

日本勧業銀行

事実

原告は請求原因として、被告東映株式会社は昭和二十七年十一月十七日株式会社宝プロダクションに宛て金額五十万円の約束手形を振り出したが、右宝プロダクションは昭和二十七年十一月二十日頃白地裏書により右手形を大三商事株式会社代表者中山政利に譲渡し、同人は白地を補充せず且つ裏書をせずに原告に譲渡し、原告は右手形の所持人になつた。そこで原告は日本勧業銀行に取立を委任し同銀行は満期の翌日に支払場所に本件手形を呈示したが支払を拒絶されたので、被告に対し、右手形金五十万円とこれに対する完済までの利息の支払を求めると主張した。

被告会社は抗弁として、本件手形については次の事由により被告に支払の義務がないと主張した。すなわち、本件手形はいわゆる証拠証券であつて流通におかれる有価証券ではない。右手形は被告が大阪所在の被告関西支社管内にある被告映画の上映館から映画の賃貸上映料を前借する場合これに対する領収証として上映館に交付するために作成したいわゆる証拠証券に過ぎず流通におかれる有価証券としての手形たる性格を有しないものであるから、本件手形につき被告が手形上の義務を負ういわれがない。

仮りにそうでないとしても、被告は手形の受取人を記載する意思なく、すなわち、受取人を白地にしてその補充権を与えたものではないから、本件手形は受取人の記載を欠くいわゆる不完全手形であり、この意味においても被告に手形上の債務は発生しない。

本件手形は被告会社関西支社に保管中同支社の牧野信太郎が昭和二十七年十一月中旬本件手形の前記性格を知悉している手形ブローカー阿部幹三に一週間以内に必ず現金五十万円を前借してやると虚構の事実を申し向けられ、これに応じて交付したのであるが、右阿部は本件手形を入手するや何らの権限もないのに本件手形に「宝プロダクション」の宛名及び株式会社宝プロダクション名義の裏書を偽造した上、情を知つている大三商事株式会社代表者中山政利に交付したものである。以上の次第であるから、右阿部も大三商事株式会社代表者中山も本件手形につき権利を取得するに由なく、従つて原告が右中山から本件手形を譲り受けたといつても真実手形上の権利を取得したとはいえない。また、前記のように、本件手形は宛名は「宝プロダクション」とあるが、裏書名義は「株式会社宝プロダクション」となつているから裏書の連続を欠くものである。

さらに、前に原告であると主張していた水野俊之は後にその本名であると主張する松本寅三とは同一人でない。松本寅三という者の住所すら曖昧極まるものであるから、従つて原告なるものが果して本件手形の権利者であるかどうか甚だ疑わしい。仮りに水野俊之と松本寅三が同一人であるとしても、前記中山政利が、本件手形は被告会社において阿部幹三により詐取されたものであるとの情を知つていたので、手形金請求に対する被告の抗弁を回避する目的を以て、原告(実際は水野俊之という架空人)名義を借りて本件手形を払込み本訴請求をしたものである。要するに、原告は本件手形の単なる名義人に過ぎず、真実本件手形を右中山から譲受けたものではないから、本件手形上の権利を主張し得るものではない、と抗争した。

理由

被告会社は、原告と称する水野俊之こと松本寅三について、右水野と松本とは同一人ではないと主張するので、先ずこの点について審按するに、証拠によると、水野俊之名義は原告が昭和二十七年十一月十三日より昭和二十八年七月六日まで日本勧業銀行大阪支店の普通預金口座として使用していたものであり、いわゆる闇金融や税金関係のためにかような変名を使用していたことが窮われる。なるほど被告挙示の証拠によれば、原告の住所が明確を欠くもののようであるが、住民登録がないからといつてその場所に居住していないものと断定することはできないし、他の証拠によると、原告は大阪市西区九条通に居住しながら、その子の小学校進学につき優秀校といわれている小学校を選びたいために、いわゆる越境入学として特に同市東区内に原告の住民登録をしたような事実も認められ、また原告はいくつかの住宅を有しているし、これと前記原告の闇金融や税金関係のことを併せ考えると、原告の住所が不明確であるからといつて原告本人の実在を疑うわけにもいかない。本件においても水野俊之こと松本寅三として公証人の認証のある訴訟委任状も提出されてあるので、この点に関する訴訟関係も適法のものと認める。

次に、証拠を綜合すると、次のような事実を認めることができる。すなわち、本件手形は、被告会社が昭和二十七年十一月頃、同会社関西支社に対し正月映画の使用料金の前借とすることを指示して、満期日、振出日、宛名人欄を白紙として振り出した数通の約束手形の一枚であるが、当時被告会社は資金上相当困窮し、映画館よりの使用料金の前受のみでは資金の調達が容易でないので、事実上映画館以外の第三者からも、被告会社の財産状態が他に洩れる虞のない場合には、手形の割引を受けていた。本件手形は被告会社関西支社の総務課長牧野信太郎が、被告会社京都撮影所長の紹介により手形ブローカー阿部幹三を知り、同人のすすめで本件手形を以て他から割引金融を受ける趣旨で被告会社関西支社長も同席の上これを同人に預けたところ、右阿部は恣に株式会社宝プロダクションの名義を冒用し、本件手形中宛名欄に宝プロダクション、振出日欄に昭和二十七年十一月十七日支払期日欄に昭和二十八年二月十五日と記入し、且つ裏面第一裏書欄には株式会社宝プロダクション代表取締役高村将嗣名義を偽造して白紙裏書をなし、これを大三商事株式会社代表者中山政利に交付して割引を受けたが、右阿部はこの金を被告会社関西支社に交付しなかつた。一方前記中山は裏書もせず白地も補充せずに対価を得て原告にこれを交付し、原告が本件手形の所持人となつた。

以上のとおり認められ、これら認定の事実からすれば、本件手形は少なくともその送付先である被告会社関西支社に対し金融の情勢に応じ白地部分の補充をその適宜に任せたものというべきであり、本件のように補充権者が自ら補充をなさずして手形を流通に置いた場合には、他に特段の事情のない限り、右補充権は被告会社関西支社より将来の手形所持人に譲渡せられたものというほかはない。仮りに前記阿部に補充権がないとしても、後記認定のように原告には悪意または重大な過失を認めることができないので、被告は補充権の瑕疵を原告に対して主張することはできない。

被告は本件手形はいわゆる白地手形ではなく、特に不完全手形とする趣旨で空白にしたものであると抗争するが、このような事実を認め難いことは前認定のとおりであり、また本件手形が単に証拠証券に過ぎぬとの主張も、本件手形の形式上これを採用し難いのみならず、被告会社の本社においては、本件手形をむやみに流通に置くときは映画会社としての信用に影響することが大きいことを慮り、一応顧客である映画館経営者から正月映画映写料の前受けの証となさしめたものであるが、絶対に流通におくことを禁じたものではなく、前記考慮に基く被告支社の善処を要望したものに過ぎないことが前認定により首肯し得るから、本件手形を以て単なる証書代用のものとし、手形上の効力を有しないものとする被告の抗弁は理由がない。

また前記阿部が本件手形を詐取したものであつても、譲受人である大三商事株式会社はこれを知らずに譲り受けたものであること前認定のとおりであり、中山政利の証言によれば、従来阿部を通じて受領した被告会社振出の手形は宝プロダクションを受取人としてその第一裏書をしているものが多く、今までこの種手形にして事故のなかつたこと、また阿部に対して割引くに当り、大三商事株式会社は経理の担当者をして被告会社関西支社に照会させ、その真正なことを確認したこと、を認めることができるから、阿部と大三商事株式会社の共謀による詐取の事実を認めることはできない。

また被告は本件手形は裏書の連続を欠く旨抗争するが、「宝プロダクション」と「株式会社宝プロダクション」の表示とは社会観念上同一性を害さないと認められるから、被告の右主張も採用できない。

してみると、本件手形の振出人たる被告会社は振出人としこの手形上の債務を免れることはできないから、原告の本訴請求は正当であるとしてこれを認容した。

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